ノクチル・イベスト「天塵」を読んだ
さよなら、透明だった僕たち
(チルアウト・ノクチルカ)
幼なじみ4人で結成された、透明感あふれるアイドルユニット
誰かになる必要なんてないーー走り出す波を追って、少女たちは碧い風になる
まさに、今回のイベント「天塵」では幼なじみ4人組、もといノクチルが「走り出す」様が描かれた。
樋口の語りを中心にOP+本編6話+EDで構成されるストーリーは、幼少期の思い出、初仕事の生配信、海辺の花火大会を軸に進んでいく。
・円香と小糸/4人の直進と円環ーー「一緒に行く」こと
冒頭から終盤まで繰り返し挿話される幼少期の思い出は、おおむね「4人で自分たちの車に乗って海へ旅行する約束をする」という内容だ。台詞の漢字のひらき具合や口調からすると小学校低学年〜中学年時のものと思われる。
この思い出には2つのシーンが存在する。①冒頭樋口によって回想される透の長い帰省から始まる約束のきっかけとなった場面と、②小糸によって回想される河原で「この先にあるよ、海」と透が言い切る場面だ。
2人がそれぞれ思い出を回想するとき、お互いの思い出が交わることはなく、樋口が②河原のシーンを、小糸が①車についてのシーンを回想する場面はない。
このことには、樋口と小糸が同じ思い出※1の中でもそれぞれが強く覚えている部分が違ったことがあらわれていると言えるだろう。実際、小糸はエンディングで①「お金貯めて、車で行こうって言ってたやつでしょ」という樋口の言葉に「そ、そうだっけ……!」と返している。
一方で樋口が②河原の場面を覚えていたか、忘れていたかは定かではない。ただ、樋口によって②河原の場面が回想されない以上、彼女にとっては①きっかけとなった場面の方がより強く記憶に残っているといえる。
幼少期の思い出に対する2人の印象の違いは、そのまま樋口と小糸の、アイドルや4人でいることに対する姿勢の違いにも投影されている。2人はそれぞれを気遣いながら、しかしすれ違う。これはお互いが幼なじみ4人組であることを大事にしながらも、それにともなう行動面で認識の違いがあるからだ。
小糸 いいの ……よかった ーーわたし、やっとみんなといれるようになったって なのにーー……
(回想/河原)
透 あるよ このさきに、海
小糸 う、ううん……! わ、わたし…… 絶対、絶対一緒に行くから……!
(中略)
円香 うん そんなこと、心配しなくてもいいのに
小糸 よ、よくないよ……! みんな、すごいもん!
(中略)
円香 ……そうだね でも、私もほんとは心配なのかも
小糸 ーーーーえっ……? 円香ちゃん……?
円香 どんどん走っていって…… 危なっかしいから 見張るのも大変
上記「視界3」での河原で樋口と小糸が自主練をしている場面での会話では、小糸の重要な発話がある。
P福丸小糸の共通コミュ(画像)ではアイドルになった理由や頑張る理由を語る際に、「一緒にいる」「一緒にいたい」と繰り返す一方、この河原の場面においては「一緒に”行く”」と決意を口にする。このことには、この発話の直前に幼少期の回想として透の「あるよ このさきに、海」という発言があることが重要だろう。
小糸 こ、ここ…… ずっと行ったら、うみなの……!?
円香 ちがうよ ずっと行ったら、まちとか、工場になるもん
小糸 でも、とおるちゃんが言ってた……
雛菜 とおるちゃんほんと〜?
(中略)
透 あるよ この先に、海
この幼少期の河原での会話は「視界1」の小糸による回想の中で行われ、その後もしばしば「あるよ この先に、海」の発言が思い返される。
樋口と小糸のすれ違う会話が行われたのもこの会話があった河原=「この先に海」がある場所であり、だからこそ小糸にとっての一緒に"いる"ことはつまり一緒に"行く"ことであるという真実が掘り起こされたのだろう。
小糸 ーーーー………… 不思議だな……ここで…… ひとりで、こんなことして……(中略)
ーーワン、ツー、スリー、フォー てってん、てててん……ーーーー
「視界1」で小糸が人がいない場所を探し、河原でひとり練習する場面がある。「不思議だな……ここで…… ひとりで、こんなことして……」という台詞の直前、小糸は上記の幼少期、河原での4人の会話を回想している。
現実には「ひとりで」河原で練習していることが「不思議」ですらあるくらい、小糸にとっては「ここ」=河原は「みんなと一緒に海へ行く」ための場所ーー通路(とどまる場所ではなく、行き過ぎるための場所)として認識されていることが分かる。
同じようにひとりでの練習であっても場所が公園であったり、もしくは河原であっても樋口や雛菜とともに練習している場面ではこうしたことは口にしていない。自身がアイドルとなって自主練に励む日々への不思議さには、「みんな」と「一緒に行く」ための場所に「ひとりで」いることが強く重ねられていることが示されている。
花火大会の仕事を受けるか話しあう場面では、一緒にいること=一緒に「行く」ことである小糸と、透の「海に行く」を反芻しては「どこに行くのか」という問いを繰り返す樋口との違いが見られる。
小糸 プロデューサーさんが言うような理由に……なってるかはわからないんだけど……やっと……まえみたいにみんなと一緒にいられるようになって だから……
円香 ずっと一緒にいられる ……ステージに出なくたって
ある意味で円香の発言は事実かもしれない。一般的な人間関係で考えれば、アイドルにならずとも人々は「一緒にいられる」。それでも、小糸は円香の発言に
小糸 そ、それは…… ……そ、そうなのかな……?
みんなだけ……どんどん…… と、透ちゃんだけ……どんどん……
と弱々しくもNOを示す。小糸にとって4人で一緒にいることは「一緒に行く」ことに他ならず「ステージに出なくたって」という樋口の言葉を疑う。
透ちゃんが笑ってたら みんな、笑っちゃう
雛菜ちゃんも、円香ちゃんだって笑っちゃう
透ちゃんが 行こうって言ったら
それはもう 走り出すのに十分ーー
円香 ……浅倉はどうなの
透 ……え
円香 浅倉を追いかけるって どうしたいの 浅倉がやりたくないなら、話が変わってくるでしょ
上記の小糸のモノローグや花火大会をめぐるやりとりからも分かるように、透の向いた方向へ残りの三人も向いていく、透が走り出したのだから他の三人も走り出す、という構図は彼女たちの中で何ら疑いのないものとして信じられている。そのことを小糸は、中学時代に4人のうちただ1人離れた時期があるからこそよく分かっているのだろう。
透以外の3人がアイドルになったきっかけは紛れもなく透のアイドルデビューであるのに対して、透がアイドルを始めた理由にはっきりとした答えはでていない(Pの誘い、過去のやりとりがきっかけであることには違いないが)。
それでも、続けている理由についてはP浅倉透のジャングルジムや、イベスト終盤のシーンを軸に「(人生長いな/夏休み終わらない)って思ってたけど(アイドル始めてから/海行くこときまったら)そうでもなかった」という透の人生観においてしめされる。そして透が「ちょっと進んでるっていうか のぼってる」ことを「楽し」んでいる以上、他の三人が「走りだすには十分」であるため、「一緒に行く」ことを選択せざるを得ない。
こうした進んでる/のぼってるーーある一方向へと進み始めた(円香に言わせるなら「走り出してしまった」)透の姿と対照的に配置されるのが、「視界1」冒頭で雛菜をとおして描かれる体育の時間の透の姿である。
(SE:カキーン/バットで球を打った音)
2年の生徒たち 浅倉ーっ 回れ回れーっ!
雛菜 …………
(中略)
2年の生徒たち ナイス浅倉ー! イエーイ!(SE:ぱんっ/ハイタッチ音)
雛菜 あは〜 減点じゃなくて、逆転〜……
「回れー!」の前にSEでカキーン、というような音がしていること、「ナイス浅倉」と言われた後にパンッと乾いた音がしている状況を見ると、浅倉がホームランをとばしホームベースまで戻ってきた姿は想像するに難くないだろう。
このときたしかに透は「走」ってはいるのだろうけれど、それは元の位置ーーホームベースへと戻るための走りであり一方向へと走り出すためのものではない、円環の運動である。
雛菜 やは〜〜〜♡ じゃ、シューして着替えて帰ろ〜!
透 はーい
(鞄を漁る音)
透 ーー
あ、シュー忘れた
雛菜 あ〜、雛菜も忘れた〜 ーーこれ誰の〜? 使うね〜?
円香 雛菜、それ私の
小糸 ひ、雛菜ちゃん……! 円香ちゃんに返さなきゃーーーー
透 (微笑)
小糸 …………!
(中略)
雛菜 円香先輩もする〜?
円香 する〜? じゃない
透 あははっ
(中略)
雛菜 小糸ちゃんも背中 シュ〜〜〜!
小糸 ぴぇ……っ!? つ、冷たいよ……! それ、円香ちゃんのでしょ……!
透 雛菜、パス もう一回
雛菜 あは〜 パス〜〜〜!
透 ーーよ、と 冷た
円香 …………
透 はい、パス
円香 ……使いすぎ
透 ふふっ ごめん
彼女たちが「初仕事」を前にした練習後の風景に「シュー」をする(制汗材スプレーのたぐいだろう)場面に置いて、彼女たちはそれらを手から手へと回していく。こうした円環の運きの中で小糸による、透ちゃんが笑ったら〜から始まる一連のモノローグが挿入される。※2
3人が透につられて笑い出す以上、透が走り出したならただ円環(=現状)を維持するわけにはいかなくなる。そういった意味で円香の「一緒にいられる」はたしかに否であり、小糸はそれがよく分かっていて弱々しくもNOを突き返すのだ。
花火大会の仕事を受けることをまず決めたのは雛菜だ。ただ、円香の躊躇いには「じゃあ3人で出るのか〜」と(わざとかもしれないが)突き放すような言動をする。そこを引き留めて「みんなで」と口にするのは小糸だ。その「理由」はみんなと一緒にいたい(=行きたい)からである。
後の会話から分かるように、小糸はこのとき行き先が(幼い頃約束した)海であることには気付いていないし、純粋に「みんなでいること」ーーそれがイコール「行くこと」「走り出すこと」であることを一番わかっているからだろう。それが円香にも伝わった結果が「行きたいから、行きたい」なのであり、4人が同じ方向を向いたところーー「走り出し」たところで本編6話「海」は話を閉じ、エンディング「ハング・ザ・ノクチル!」へ続いていく。
・蛍、夜光虫、花火ーー光とノクチル
「天塵」ではトラブルとして生配信番組の炎上が取り扱われ、それでも彼女たちは海辺での花火大会を通して「こっち見ろ」と言えるだけの方向/行き先を手に入れたこと/はっきりと見つけたことがえがかれる。
海へと走り出し「暗い波間に、ときどき花火の明かりに照らされて小さく光って」いるノクチル(=夜光虫)の4人のことは「誰も見てない」。会場にいる人々は夜空にあがる花火に夢中になっているばかりだ。
ここでは花火とノクチルが対比のように示されるわけだが、それでありながら、2つは連続するものとしても配置されており、花火は彼女たちの将来性を提示している。
透は生配信番組において、「ほたるこい」と歌う。「ほたるこい」の歌詞は以下の通りだ。
ほう ほう ほたる来い
あっちのみずは にがいぞ
こっちのみずは あまいぞ
ほう ほう ほたる来い
「こっちのみずは あまいぞ」はエンディング「ハング・ザ・ノクチル!」の波間における「こっち見ろ」と呼応しているのではないか。彼女の発する蛍(=光)を呼び寄せる言葉は、もしかしたら小糸や円香、雛菜という「小さく光っているあの子」を呼び寄せる機能をも意味しているかもしれない。透につられて、3人は走り出さざるを得ないのだから。
Pも言うように、「仕事をすれば(中略)自分たちが思う以上に、姿勢を求められ」たりするし「見てくれた人たちの反応」におおきく左右される(されてしまう)ものが(2020年現在・日本の)アイドルだろう。
そうした環境下でも、彼女たちは4人で「一緒に行く」ことを選んだ。それにはPの並べるような「理由」はない。ただそれでも「こっち見ろ」と4人は叫び、他者の視線を求めている。自己完結ではない。
ノクチルは目的/理由のない光が、そのまばゆさ、美しさでもって他者の視線を奪い得ることを目の前の花火(とそれに目を奪われる人々の姿)をもって知っているのだ。だからこそ、このイベントタイトルは「天塵」=花火であり、それは彼女たちの行き着き得る光として示されているのだろう。
そのために「走り出」した彼女たちの、次のストーリーがオタク(一人称)は早くも待ち遠しくなっています…。
※1 連続する場面かどうかは定かではない。別日の可能性もあるが、どちらにせよそう離れた時間の場面ではなさそうだ。一つの約束にまつわる思い出としてひとまず「同じ思い出」とする。
※2 野球のシーン同様、このシーンも「視界1」の一場面である。「天塵」全体を通して、4人の姿勢が直進運動へと揃って「走り出す」以前の4人の状態を、こうした円環の動きの連続した配置でもって表現しているのかもしれない。